2020/05/09
師匠の元を離れて思うのが、
師匠の有り難さだ。
ぼくは、
特に推拿に関しては、
学校や講習会で身に着けたと言う感覚がない。
この世界系の学校に行ったことはないし、
講習会や本でさえ、
自分をそれほど成長させたとは思っていない。
やはり、
実際の現場が、
師匠の元で働いた毎日の経験が、
ぼくの学びの場だったと思っている。
今は動画もあるので、
現場の一部を垣間見る機会は、
数年前よりははるかに得られやすい。
「シェア」、
共有すると言う概念は、
おそらく10年前、20年前からすると、
雲泥の差ほどに進化していると感じる。
情報=価値を、
お金に換える、
と言う考え方も、
この数年で学んできたが、
情報=お金ではない事にも最近気付かされている。
お金=物質=有限だとすると、
情報は物質ではなく、
有限とも言えないからかも知れない。
情報=無限と言ってもいいのかも知れない。
情報=価値であることは間違いないが、
情報は与えても減ることはなく、
相手に与えて伝わり身に付き活用出来るとすると、
その価値は2倍に近くは増えたことになる。
「有限思考」に陥ると、
自分が得た情報を他人に与えると、
自分の取り分が減ると言うマインドに落ちる。
だから、
『推拿』に関する情報も、
かなり限られてきたように思っている。
『真髄』は容易く伝えられるものではないが、
受け取る側に受け取れる「器」がない限り、
伝えようとしても伝えられないのも確かだと感じる。
ぼくがそれほど信用していない、
というかあまり興味をひかない推拿に関する著作物にも、
実はその『真髄』が散りばめられているのだが、
それを容易く得ようとしている限り、
そこに同じ情報があっても、
単なる文物としてしか受け取れないと思っている。
だから『推拿』を修得している人が、
日本では未だに少数なのではないと思っている。
先生、
指導者、
師匠と言われる人と出逢ったとして、
その人から与えられるものを、
大切に受けとり実践できる人は、
どの世界でもある程度限られているのかも知れない。
しかし、
その『価値』を、
心底望んで、欲しているとしたら、
先生が、
指導者が、
師匠が与える些細に思える言葉にさえも、
重要な『情報』が潜んでいた事に気付く時が来る。
どんなにたくさんの知識を詰め込んできたとしても、
生身の存在から与えられた情報に触れなければ、
本当に腹の底に沁みわたるように身に着けることは出来ないと思っている。
それは、
その人が起こしている現象が証明し続けると思う。
つまり、
結果が示しているのだ。
これは、
患者さんとの関係でも実感している。
重いアトピーの症状に苦しんでおられたIさんは、
真夏にもかかわらず、
冷えと体調の優れない身体の状態の改善を求めて昨年8月の終わりにいらした。
身体の施術の他に、
気功法の日々の実践と、
思考法の修正をお伝えしていく中で、
徐々に身体の症状に変化が現れるのを実感されていった。
その時に、
ぼくがお伝えしている言葉に、
「前に聴いたことがある」
「何かで読んだことがある」
との反応をよくされていた。
つまり、
「知ってはいた」
と言う事だ。
しかし、
自分の深刻な現状の中で、
それを改善する関わりに、
先生、指導者、であるぼくが、
生身の現実的な存在としてお伝えすると、
その単なる「知識」たちは、
実践的な『知恵』となり現実的に活用できるようになるのだ。
そして、
一年後の今のIさんは、
劇的に身体の症状もアトピーの症状も改善され、
取り巻く人間関係にも変化が表れて、
新たな人生のステージに向かおうとされている。
このような関わりが出来ると、
ぼくとしても使命に通じる志事が出来たと自負させて戴いている。
言語、
テキスト情報よりも、
声による情報量の方が多く、
言葉よりも画像、ビジュアルの方が情報量が多く、
画像よりも動画の方が情報量が多く、
動画よりも対面の方が圧倒的に情報量が多い。
本当に現状からの改善、
向上を望むのであれば、
もう一歩先に進み、
現実の世界に変化を起こすことをお薦めします。
師匠の元を離れて思うのが、
師匠の有り難さだ。
ぼくは、
特に推拿に関しては、
学校や講習会で身に着けたと言う感覚がない。
この世界系の学校に行ったことはないし、
講習会や本でさえ、
自分をそれほど成長させたとは思っていない。
やはり、
実際の現場が、
師匠の元で働いた毎日の経験が、
ぼくの学びの場だったと思っている。
今は動画もあるので、
現場の一部を垣間見る機会は、
数年前よりははるかに得られやすい。
「シェア」、
共有すると言う概念は、
おそらく10年前、20年前からすると、
雲泥の差ほどに進化していると感じる。
情報=価値を、
お金に換える、
と言う考え方も、
この数年で学んできたが、
情報=お金ではない事にも最近気付かされている。
お金=物質=有限だとすると、
情報は物質ではなく、
有限とも言えないからかも知れない。
情報=無限と言ってもいいのかも知れない。
情報=価値であることは間違いないが、
情報は与えても減ることはなく、
相手に与えて伝わり身に付き活用出来るとすると、
その価値は2倍に近くは増えたことになる。
「有限思考」に陥ると、
自分が得た情報を他人に与えると、
自分の取り分が減ると言うマインドに落ちる。
だから、
『推拿』に関する情報も、
かなり限られてきたように思っている。
『真髄』は容易く伝えられるものではないが、
受け取る側に受け取れる「器」がない限り、
伝えようとしても伝えられないのも確かだと感じる。
ぼくがそれほど信用していない、
というかあまり興味をひかない推拿に関する著作物にも、
実はその『真髄』が散りばめられているのだが、
それを容易く得ようとしている限り、
そこに同じ情報があっても、
単なる文物としてしか受け取れないと思っている。
だから『推拿』を修得している人が、
日本では未だに少数なのではないと思っている。
先生、
指導者、
師匠と言われる人と出逢ったとして、
その人から与えられるものを、
大切に受けとり実践できる人は、
どの世界でもある程度限られているのかも知れない。
しかし、
その『価値』を、
心底望んで、欲しているとしたら、
先生が、
指導者が、
師匠が与える些細に思える言葉にさえも、
重要な『情報』が潜んでいた事に気付く時が来る。
どんなにたくさんの知識を詰め込んできたとしても、
生身の存在から与えられた情報に触れなければ、
本当に腹の底に沁みわたるように身に着けることは出来ないと思っている。
それは、
その人が起こしている現象が証明し続けると思う。
つまり、
結果が示しているのだ。
これは、
患者さんとの関係でも実感している。
重いアトピーの症状に苦しんでおられたIさんは、
真夏にもかかわらず、
冷えと体調の優れない身体の状態の改善を求めて昨年8月の終わりにいらした。
身体の施術の他に、
気功法の日々の実践と、
思考法の修正をお伝えしていく中で、
徐々に身体の症状に変化が現れるのを実感されていった。
その時に、
ぼくがお伝えしている言葉に、
「前に聴いたことがある」
「何かで読んだことがある」
との反応をよくされていた。
つまり、
「知ってはいた」
と言う事だ。
しかし、
自分の深刻な現状の中で、
それを改善する関わりに、
先生、指導者、であるぼくが、
生身の現実的な存在としてお伝えすると、
その単なる「知識」たちは、
実践的な『知恵』となり現実的に活用できるようになるのだ。
そして、
一年後の今のIさんは、
劇的に身体の症状もアトピーの症状も改善され、
取り巻く人間関係にも変化が表れて、
新たな人生のステージに向かおうとされている。
このような関わりが出来ると、
ぼくとしても使命に通じる志事が出来たと自負させて戴いている。
言語、
テキスト情報よりも、
声による情報量の方が多く、
言葉よりも画像、ビジュアルの方が情報量が多く、
画像よりも動画の方が情報量が多く、
動画よりも対面の方が圧倒的に情報量が多い。
本当に現状からの改善、
向上を望むのであれば、
もう一歩先に進み、
現実の世界に変化を起こすことをお薦めします。
すいな健康院2020 推拿の信長正義