「決断」について〜推拿との出逢い。

私の推拿の師匠である、
東京中医学研究所の所長で、
臨床中医推拿塾塾長の孫維良との出逢い、
イコール推拿との出逢いについて、
ここで振り返りたいと思う。

今から17年前、
34歳 になったばかりのぼくは、
結婚を機に、
人生に於いて強く望み始めたことがあった。

「自分の影響力で人に役立てる職業を持つ社会人になりたい」

その当時の私は、
新宿の中国料理レストランで、
ウェイターのアルバイトをやりながら、
10代の頃から続けていた音楽活動をやっていた。

「プロになりたい」
という思いでやっていたが、
やはり自己満足にしかなっていなかった。

日曜日のお昼に、
妻と食卓に向かい合っての食事、
テレビを観ている自分が辛かった。

「多くの人々を感動させたい、多くの人を癒して元気にしたい」

そんな思いを持って、
詩を創り曲を創り、
ギターを弾いて歌ってきた。

妻とも、
その活動の縁で知り合った。

有り難い話なのだが、
その小さな幸せを、
自分の範囲だけで留まらせている現状に、
いたたまれなかったのだと思う。

音楽活動は続けたかったが、
自分の能力を、
人に喜んでもらえることに使いたかった。

「独立可能で、時間とお金をコントロールできる自由を手に入れたい」

そんな願いも正直あった、
というか大きかった。

でも、
何が自分にできるのか、
全くわからずに悶々と日々を送っていた。

そんなある日、
レストランのお客様であった孫維良と、
帰りの駅のホームで度々一緒になる機会が訪れた。

都営地下鉄の新宿三丁目、
そこから大江戸線で練馬まで、
30分ほど話をする機会が度々あったのだ。

ぼくは師匠の仕事の話を熱心に聴いた、
「北海道から飛行機で杖をつきつき来た脚の悪いお婆さんが、
帰りには善くなって大変喜んで、杖を忘れて帰っていった」
というような話だ。

師匠は、ぼくの現状、
そして将来のビジョンなどについて質問してきた。

「事務所に遊びにきなさい」
そうも言ってくれた。

これらのやりとりの中から、
ぼくはすでに、
「この仕事を職業にしたい」
と強く思うようになっていった。

ある日、
勇気を出して訪ねていき、
勉強させてもらう方法はありますか?
と尋ねた。

「月2回、半年間の塾があるのでそれに参加しなさい」

半年で二十数万円の受講料は、
当時のぼくにとっては大金であった(もちろん今でも大金だ)が、
こうと思うと実行せずにおられない性分を発揮して、
この世界に飛び込んだ。

ほぼ専門家ばかりの受講生の中、
医学の知識はもちろんなし、
整体の必要性もないような状態での参加、
とうてい理解しきれる世界ではなかった。

でも、
心ではすでに、
「この仕事を職業にする」
と決めていたのだ。

この技術を学ぶには、
「毎日を推拿漬けにした生活を送るしかない」
そう思い込んでいた。

半年が過ぎる頃には、
弟子入りを志願しようと決めていた。

意を決して、
師匠の事務所に乗り込んだ。

「弟子入りさせてください!」

断られた。
入れても仕事がない、
というようなことを言われた。

納得いかなかった、
どうしても成し遂げたかった。

何度も通った、
その度にはぐらかされるような感じであったが、
ある時、
「期限を決めて、学費を支払うなら入れてもいい」
との言葉をもらった。

後日、
具体的な条件をもらいに事務所へ、
「半年で100万円」
それが条件だった。

「うっ!」
ガーン!とか音が出ていたかもしれない。

「それ以外は方法なし」
というものだった。

悩んだ、
やりたい、
なんとしてもこのチャンスを逃したくない、
しかし、条件が条件だった。

冷静に考えてみると、
資格が取れる訳でもない、
この先生が本当に何者なのか?
どのくらいの施術者なのか?
とか、何も知らなかった。

推拿を日本に紹介した第一人者、
施術界のトップである、
と知ったのは、
弟子入り後かなり経ってから、
外部の受講生の方からの話で知ったくらいだ。

悩んだ、
ある日、
師匠のところへ出向き、
こんな質問をした。

「技術が身に付いてからお支払いするというのはいかがでしょうか?」

今考えるととぼけたことを言ったものだと思う、
もちろん一蹴された、
「道理が合わない」
今思うと確かにそうなのだ。

あるものを手に入れようとした時に、
代価の先払いは、
宇宙の原理原則なのだ、
自分の大切な何かを差し出さない限り、
その大切な何かは手に入らないのだ。

妻や両親にも話を聴いてもらい、
この決意の強さについて、
心から伝えたと思う。

そして、
ある夜、
妻を師匠に合わせ、
師匠からぼくの決意について、
話をしてもらった。

妻は泣いた、
でも承知してくれた。

ぼくは、
この夜のことを忘れない。

受講費を支払うことができた瞬間、
もう他に行く道はなくなった、
これが今思うと「決断」だったのだ。

決断とは、
決めて、断つ、
その他の可能性を断つ、
言い訳を言えなくする、
と言ってもいいと思う。

これでぼくは「推拿師」になる、
その道だけを歩むことになった。

その後も数多の障害があった、
いろんな人から揶揄されたこともあった。

自分の能力を疑ったこともあったし、
師匠のことを信じれなくなったこともあったと思う。

それでも、
ぼくにはこの道を全うするしかなかったのだ。

その強い願いは、
いろいろなものを引き寄せ、
そして、状況を変えていく力を持っていた。

気がつくと、
ぼくはある意味、
当時の師匠にはなくてはならない存在になることができ、
結局、5年間の貴重な密度の濃い時間を共にさせてもらうことができた。

その時のあらゆる情報が、
今のぼくを成長させつづけてくれている。

推拿の深みは留まるところを知らない。

1年後には1年なりの、
3年後には3年なりの、
5年後には5年後なりの、
10年後には10年後なりの、
理解と技術を得させてくれる。

求めていれば、
求めつづけていれば。

今思うと、
脇目も振らず、
推拿一本でここまで来れて、
本当に良かったと思っている。

純粋に孫維良から受け継いだ、
推拿のみで施術をしつづけている、
というのは、
私のかなり大きな強味であるし誇りでもある。

今後、
師匠と協力して、
推拿を普及しその価値を高めていく活動をしていく。

質の高い技術の継承のため、
教育の仕組みづくりも急務である。

技術と知識は、
豊かな人間性によって活かされる。

このため、
豊かな心をもった人を育てる、
人間教育、
この観点からの人材育成が望まれる。

「心・意・気」
とは、まさにそのことなのである。

出逢った全ての人に感謝いたします。

今までの全ての出来事に感謝してます。 すいな健康院 信長正義

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